遊び心溢れる表紙!

祝!平成ガメラ25周年!!

今年2020年は、平成ガメラ3部作といわれているシリーズ第1作目、『ガメラ大怪獣空中決戦』(1995)の封切りから25周年ということで、ガメラ熱が上がってきています。

金子修介監督と樋口真嗣特技監督のコンビによる、重厚なストーリー、精巧な特撮、壮大なカタルシス…といった点により、90年代の特撮―特に巨大特撮に与えた影響ははかり知れません。

『ガメラ監督日記』

『ガメラ監督日記』は、その書名の通り、ガメラの監督である金子修介氏の平成ガメラに纏わるエッセイです。この本を書かれたのが1998年なので、ガメラ3はまだ製作されていない時期です。よって、ガメラ2までの事柄が書かれていますが、話の主軸は、主にガメラ1、つまり『ガメラ大怪獣空中決戦』なのです。

というのも、ガメラとは、そもそも、1954年公開の『ゴジラ』の大ヒットを受けて、各社がこぞって製作した特撮怪獣映画のひとつ、でした。大映が製作したガメラの第1作は1965年公開。その前後で、『大巨獣ガッパ』(日活)、『宇宙怪獣ギララ』(松竹)、といった映画が公開されています。きっと当時見た人以外では、特撮マニア以外は知らないことでしょう。ちなみにギララは2008年にリメイクされています。が、やはり特撮マニア以外は知らないでしょう…

その中で、ゴジラ以外で唯一生き残ったと言っても過言ではない怪獣がガメラです。

ガメラシリーズは、1965年から1980年にかけて全8作品が作られました。そこから約15年の時を経て、平成ガメラは生み出されたのです。

と、ここまでは、ウィキペディアなどで調べればわかることです。

この平成ガメラ、特に1作目の『ガメラ大怪獣空中決戦』がいかなる苦労をして生み出されたか、を知ることができるのがこの『ガメラ監督日記』です。

どのような経緯でガメラが金子監督に託され、製作されることになったか…いかに、すでに世に出ているキャラクターで新作を作ることが難しいか…、いかに、会社の意向と監督サイドの意向、そして予算とのせめぎ合いが映像に反映されるのか…、ということがこの本を読めば、だいたいわかります。私達、いち視聴者は、映画(映像)を観た後、好き勝手に語ります。やれこの場面がカッコよかった。やれこのシーンはチープだった。やれここはもっとこうするとよかった。などなど…

まぁ、それはそれで、世に出た完成品が全て…と言われればそれまでなのですが、たまには作り手側の話を聞いて、あぁ、こんな事情もあったのだな…と、思いを馳せるのもいいのではないでしょうか。

ちなみにこの本、すでに絶版になって久しい上に、amazonなどの中古でもそこそこしますので、ちょっと個人的に面白かった場面を…以下書籍より引用です。予算のせめぎあいによる、現場の大変さがわかります。

 この部分は樋口氏をいたく刺激したらしく、絵コンテ作業が始まる前にイメージコンテとして様々な角度からギャオスとヘリをとらえた絵を描いてきてくれた。

 これはとてもイメージあふれ、面白くなりそうなアイデアが満載されていた。

 しかし、バッサリ。

 ……ああ、当時の忸怩たる思いが甦る。

 車の上に落ちる鉄の塊の本編カットなど、2回めの打ち合わせの時にはもう削ったよ。

 さらに、さらに、どんどんどんどん削っても、まだまだ全然駄目だということから、樋口氏は各カットのクオリティを思い切って下げる、という決断をせざるを得なかった。

 そして、彼は言った。

 「昨日までの樋口は死にました。今日からニュー樋口と呼んで下さい」

 さらに打ち合わせが繰り返され、紛糾し、クランクインが迫ると、

 「今日からニューニュー樋口と呼んで下さい」

 彼は何度死んだのであろうか。

ちなみにこの本の表紙は、特撮映画はこう撮っているんだよ、と言わんばかりの、遊び心あるものになっています。

裏表紙もイイ!